読書感想文「日本夫婦げんか考」
樺沢紫苑医師によると、読書したらアウトプットするべしとのことなので、せっかくだしこのブログで書いていくことにする。
日本夫婦げんか考 永井路子 著
直木賞作家による、神話の時代から中世頃までの17の有名夫妻の夫婦げんか(?)エピソードを軽快なタッチで語る歴史解説本。
それは夫婦げんかか?からの、歴史を見る際のジェネレーションギャップに気付く
夫婦げんかと言うけれど、夫婦げんかで済ます範疇の話か…?というのがまず気になった。
体感8割くらいが夫の浮気に妻が怒るという、まあよくあるケースなのだが、なにせ歴史に名を遺すレベルの大物夫婦なのであっという間に事が大きくなって人は死ぬし、場合によっては戦争にまで発展する。
政治的な思惑が絡むケースも多く、そうなると元から争いを起こすのが目的で、夫の浮気どうこうなんてちょうどいい言いがかりの一つに過ぎないのかもしれない。
なのでどれも夫婦げんかの話と言われるとピンとこないような、もやつくような印象。
歴史本としてはラフな語り口で親しみやすく読みやすいが、どうも筆者が妻に手厳しい気がする。
節々から男には仕事や立場というものがあるのだからと夫の肩ばかり持ち、女は大局が見えずすぐに己の感情のみで突っ走っていけないという論調が伺えるのだ。
それがどうにもいただけないと思いながら読んでいたら、当の筆者が「私は女なせいか妻の肩ばかり持ってしまう。」と書いていてひっくり返りそうになった。
あれで女の肩持ってるつもりだったのか!?
しかし奥付やらあとがきやら読んで納得した。
この日本夫婦げんか考、本になったのは1974年。50年近く前の話なのである。
さらに元は雑誌の連載記事だったものを一冊にまとめた本ということで、書かれたのはさらに1~2年は前だろう。
元号にして昭和49年、筆者に至っては大正の生まれだそうなので、令和の男女観とズレていて当然なのだ。
私からするとそもそも夫の浮気で揉める事を「夫婦げんか」と表現する事自体、軽く見過ぎでは?と抵抗があるのだが、時代とケースが違えば「それくらいの事でいちいち怒ったり夫にたてつく妻の方がけしからん!」であり、なんの、妻の身にもなってごらんなさいよと言う著者の立場は十分に女性びいきだったのかもしれない。
…と理解に努めるがやはり今の私には難しい。それくらい常識の感覚が違う。
たかだか50年程度でこれだけ価値観のギャップがあるのだから、本書の夫婦達の感覚はもっと異次元の領域はずだ。
実際織田信長・濃姫夫婦の話では、戦国時代とは夫婦間に愛とか信用は皆無であった時代という風に書かれている。
確かTwitterで見かけた別の本の話でも「愛人」という言葉は本来文字通りの「愛している人」であって、つまり「妻・夫」とは「愛していない人」だったのだが、恋愛結婚が普通になった現代では愛人=性欲的関係に意味が変わってしまった…というような内容を見かけて衝撃を受けた。
何が言いたいかというと、歴史ってこういう背景ごと理解しなければ分からないという事だ。
聞いてた話と違う!その歴史知識、創作かも?
もう一つ驚いたのは、俗に言われるイメージとずいぶん印象の違う夫婦達の姿だ。
私の中では、二人は激しい恋に落ちて一緒になった相思相愛、一蓮托生の仲の良い夫婦のイメージだったのだが、本書ではこれをばっさり切り捨てている。
確かに激しい恋はしたかもしれないが、それは田舎娘の政子が都から来た美男に入れあげているだけで、頼朝はといえば都落ちし出世街道から外れ、結婚適齢期も過ぎた中での妥協婚という感じらしいのだ。
すごいギャップである。
しかしどちらが正しいかと言われると、後者は曲がりなりにも歴史研究家が史料を読み解きながら書いた本、一方前者のイメージがどこから来たかと言われるとはっきりしない。
教科書に頼朝と政子は熱愛関係でしたとか書いていないのだから、大河ドラマだったり歴史小説だったり、各地に残る美談の逸話、それらを読んだ親などから教わったお話…そんなところだろう。
つまりこれも、誰かにとって都合のいいフィクション、創作である可能性の方が高い。
私達は思った以上に歴史の事を知らないし、ちゃんと知るべきなのだと感じる。
歴史上起きた事だけささっとなぞって現代の感覚でとらえてしまうと、とんでもない読み違いをする。
そうやって歴史が都合よく解釈された結果、印象操作され人々を操るための材料に利用される危険性は十分にある。
本書でも
「私たちは、昔の女は貞淑、従順で、夫に対して言い返すことはないように教えられていたが…」
「現実が忘れられることによって(中略)江戸時代の女性はひどくみじめで弱いものだという考えは、とかく現代にまで尾をひいていて、(中略)今日でも『女にゃ男の仕事はわからない」と男は言い、女もそれが当然のような顔をしている場合が多い。」
日本の女性は昔からお淑やかな大和撫子である、という教えに対してそんなことはない、昔の女はこんなにも夫に負けず、強気であったぞと言っているのだ。
ありきたりだけど歴史の勉強って大事だ
歴史をちゃんと学ぶって大事だなと思った。
ちゃんと史料を読む事の大切さ。
一つだけでなく複数の、いろんな立場から見たものを付き合わせて考えること。
時代背景を理解する、自分の感覚だけで判断しない。
イメージとか、伝承みたいな「なんとなく広まってるもの」が全てだと思わない。具体的に言えば小説や大河ドラマを真に受けてはいけないってこと(笑)。
歴史は悪用されている可能性があるっていうこと。
今の自分が全然理解できない価値観があって、そこで生きる人がいること。
それはそれとして、歴史に残る偉大な人物もまあまあ人間臭くてしょうもない面があるということ。
などなど学べたし、名だたる偉人のイメージが崩れてがっかりする所もありつつとても面白い本だった。
たまたまkindleUnlimitedでなんか面白いのないかなとぶらぶらしていて見つけただけの本だったが、良い読書だった。
蛇足の話 電子書籍化って大変なのかも?からの今後の電子書籍傾向への妄想
これは完全な蛇足であり本来なら本の評価に付け加えるべきではないのだろうけれど、どうしても気になるレベルの不満点がある。
それはこの本が、雑誌連載→書籍化→文庫化となんどかの改定を経て電子書籍化という長い道のりを経てきたからなのか、単に電子書籍化した際に不手際があったのか
尋常でないレベルの誤字脱字がある
という事だ。
出版されている本でここまでの誤字脱字のあるのは早々お目にかかれないというレベルで、というか見たことがない。
中には相当類推しなければ文の意味が取れなくなる箇所もあった。
少なくとも私の読んだkindle版のレビューでは同意見が散見されるので、たまたま私だけに起こったバグではないようだ。
これがkindle版のみの現象なのか、他社電子書籍版、あるいは現行の書籍版にまで及ぶものなのかは不明だが、これから読む方は一応気に留めておいてもいいかもしれない。
ここから先は妄想だが、もしかしたら電子書籍版は紙の本を流行りのAIに読み込ませて作ったとかではないだろうか。
誤字脱字の仕方が、私が紙の上の文章をGoogleレンズに読み込ませて電子化した時と似ている気がするのだ。
古い本だし、若手の会社なり人なりが安く電子書籍化しましょうよと声をかけて、著者なのか版元だかもよくわからないからお任せします、みたいな事になり、碌なチェックもされずに世に出てしまった…とか。*1
となると今後こういうクオリティの本が増えるのかもしれない。
電子書籍が増えるのはありがたいのだが、せめて誤字脱字の修正位はしてほしいものだ。
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